お葬式のお手伝いとお祭りの準備という仕事が一度にきました。
集落にいるというのはこういうことなのだと感じます。
お葬式のお手伝いの方法も集落によって違うようでとても興味深かったです。
今回のお手伝いは台所周りだったのですが、それだけでなく会場を整えたり会計のお手伝いをしたりもあって、お手伝いしている男性陣とお話する機会も多かったです。普段お仕事などに出かけていてお会いすることができない方ともお話ができました。
高齢の方も多いということで、ご飯を食べたり休憩をしたりしている時は、昔話になりました。
どのように弔いを行っていたかというお話は、とても興味深いものでした。
以前はなんでも自分たちで行うのが当たり前だったので、棺を運ぶのも火葬のお手伝いも若い人の仕事だったようです。
お話を聞いていて思ったのは、死というものが近くにあったのだなということ。
今は葬儀会社の人が全てとり行ってくれるので、人が亡くなってから荼毘に付されるまで、その工程を経験することはほとんどありません。仕事をしてくれる人を通すことで、人の死というものから少し離れてしまったのだと思うのです。以前は手伝う事で、誰もが死を考え、形が無くなっていく様をみることで、そういうものだという感覚が培われていったのではないかと思います。
それが良いとか悪いとかではなくて、その経験が死を恐れではなく必ずあるものとして捉えることに繋がったのではないかと。
うまく表現できないのですが、ものを生み出す力をつくるというエントリーでも書いたように、お金で解決できることを通すことによって、中身の見えないブラックボックスになってしまったことはたくさんあるのだと感じます。
集落は若者が足りなくなってこういう行事ができなくなりつつあります。
でも良く考えたら、都市の方こそコミュニティが維持できなくなって、早くにそのような行事を手放しました。
自分で動く必要がどんどん少なくなっている都市の生活から、自分たちの手でなんでも行う集落の生活を体験することになって、人間の力ということを考えると、それは進歩ではなく退化の過程なのかもしれないと考えたりしていました。
お葬式のお手伝いが終了してすぐ、地域のお祭りのお手伝いに向かいました。
先ほどまでお寺で一緒だったみなさんと、また一緒にお仕事をさせていただきました。
祭りでは祭りのまた違った体験ができました。
同じ日に慶弔がいっぺんにくる経験も、こういう土地ならではなのかなと思います。
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