ふれあい祭り


9月18日(土)にふれあい健康まつりが行われました
町に住んでいる高齢の方や障害を持つ方などが一緒に楽しめるお祭りとして開催されています。
今年で26回め。
続いているのはすごい事だと思います。

農業環境改善センターで開催されたのですが、正面入り口の前にはたくさんの出店が。
地域おこし協力隊も旭町子供会のお手伝いということで焼きそばを作りました。
焼きそばリーダーの指導のもとみんなで頑張っておいしい焼きそばができました!

室内では射的など子どもが楽しめるゲームや、体育館では高齢の方も参加できる競技が開催されました。
勝ち負けを競うのではなく、楽しくふれあうことが大切です。
みなさん和気あいあいと時間を過ごしていました。

協力隊は夏祭りで行った「紅白玉入れ」の進行役も仰せ使いました。
ここでもまた名司会者が大活躍しました。
途中でいつもの方向に流れそうになりましたが(笑)なんとか軌道修正して終了。

担当エリアの住民の方が声をかけてくださったり、差し入れをしてくださったり、皆さん気を遣ってくださるのでとてもありがたいです。協力隊の焼きそばもおかげで完売となりました。
のんびりと交流できるほのぼのとしたお祭りでした。

参加したみなさんおつかれさまでした〜

いも拾いとか、いも拾いとか。


収穫の時期を迎えました。
協力隊員は毎日どこかのイモ畑に行っています。

私たちは農業支援のための協力隊ではないので、いつも畑のお手伝いができる訳ではありません。
①独居の高齢者 ②高齢者世帯 ③怪我や病気で人手が足りない世帯 という順番でお手伝いをさせていただいています。
それでもこの時期はどこも人手が足りないので、エリアをまたいで行く事も多くなっています。

じゃがいもは機械で掘り起こして手で拾います。
大きな機械(ハーベスター)を導入している農家さんでも、畑の淵は機械が入れないので手で拾うようです。傷がついてるもの、小さすぎるもの、形が悪いものをくずイモ、形が良いものを正品と呼び、この二種類に分けて拾っていきます。
どのイモもジャガイモなのですが、農産物で商売をしている方たちにとってはこの作業は重要です。でも、ほんのちょっと形が悪いだけで価値が下がってしまうというのは残念なことです。

イモの収穫は農作業の中でもきつい仕事のうちに入るそうです。聞いていたとおり次の日は身体がかなり痛くて…。農家さんとは身体の作りが違うと改めて感じました。作業としては拾う動作よりも拾ったものを持ってコンテナに移す方がきついです。一つのかごにはだいたい20キロのジャガイモがはいるそうで、高齢になるとこの作業はかなり厳しいものだろうと想像します。
いも拾いの大変さを経験すると「全部正品で売れないのかな?」と感じてしまいます。

結局は消費者が選んでいるからなんですよね。
作物を作るのは本当に大変です。自然相手なので、出来不出来がコントロールできません。毎年の収入を安定させるのは、本当に難しいことなのだろうと感じます。頭では分かっていたことですが、実際に体験してみて強く感じています。

はじめの方で喜茂別の協力隊は農業支援のための人員ではないと書きました。「農業の町の協力隊なのに農業支援をしないのはどうかと思う」という声も聞こえてきます。現状を知るための農業支援は大変参考になりますし、何もできないひよっこの私たちでも働いているように見えるのが農業支援の良い所です(笑)でも目先の人員の増加ではなくて継続的に支援する体制を作ること、それと雇用を生み出すための仕組みをつくることが町にとって大切なのではないかと思っています。

収穫の忙しさも今月と来月中旬くらいまでと聞きます。まずは体験させていただきながら、町の課題についても考えていきたいと思っています。

The “tiny house” movement

生活をダウンサイズしようという動きはますます加速しているようです。
先日PBSで放送されたThe “tiny house” movement を見ました。
小さな家に住む女性の特集です。
すごく魅力的です。

Watch the full episode. See more Need To Know.

北海道の場合は冬の事を考えないといけないので、こういう家を作れるかどうかは分からないのですが、今の生活のサイズを小さくするとか、借金をしないで生活するいう動きは今後日本にも来ると思います。
もう既に都市では車をシェアするという生活が定着しつつあるので、すでに来ているのかもしれませんが。

物を持たずに生きるということ。

お風呂や洗濯機、大きな冷蔵庫とかキッチンなど生活に必要なものをシェアできたらこんな小さな家でもいいですよね。
夏は外で畑や庭の手入れをして過ごして。
冬は家の中で洋服を作って。

憧れます。

『地域力』創造と『地域おこし』のヒント

総務省と北海道主催の「『地域力』創造と『地域おこし』のヒント」という講座に参加しました。
知り合いの札幌市の方も参加するということで、受講前にランチを食べてから向かいました。
2日間の講座なのですが、私は喜茂別神社祭があるため一日だけの受講に。
総務省自治財政局長の椎川忍さま、総務省自治行政局地域力創造グループ地域自立応援課人材力活性化・連携交流室長の澤田史郎さまの講義を聞きました。

喜茂別町からは地域おこし協力隊が2名、タウンマネージャーと喜茂別町役場の職員の方の4名が参加しました。
タウンマネージャーによるきもべつ地域おこし協力隊の事例発表もありました。
参加されていた方はほとんど多くが役場関係の方ということもあって、行政の立場の人をターゲットにした内容だったように思います。ですが総務省の取り組みの内容や現状、活動のアイディアなどたくさんの示唆に富むお話を聞くことができ、勉強になりました。また、懇親会ではたくさんの方と名刺交換をさせていただき、たくさんの励ましをうけて大変ありがたく思いました。

講座に集まっていた方は地域を元気にしたいと考えている方ばかり。そして私たちのような協力隊をつかう立場にある方たちでした。そこに実際に現場で悩みながら動いている私がいた訳ですから、懇親会では似たような質問を受けることが多かったです。
「役場はどう動いてくれていますか?エリアに役場の担当者はつきますか?」
「仕事は細かく依頼が来ますか?丸投げですか?」
みなさん協力隊は使ってみたいけれど、どんなことになってるのか興味は尽きないようでした。

喜茂別町の場合はまちづくりコンソーシアムという組織が協力隊の事業を運営しています。これは役場と2つの非営利の組織と財団で構成されているものです。ですから、私たちは喜茂別町役場の非常勤職員という立場ですが、指示はまちづくりコンソーシアムから出てくるということになっています。

講師の椎川局長はエリア(集落)ごとに行政の人を貼付けるべきだと主張されていました。少ない人員の中で役場の仕事を回しているので、喜茂別町の場合は5集落に一人ずつ付けるのは難しいことかもしれないです。私もそこは理解していますが、ぜひ一緒に現場を見てほしいと感じています。エリア担当になって考えたことでも書きましたが、文字化されたものと実際にそこで聞こえてくる言葉は必ずしも一緒ではないと思うからです。

また「緑の分権改革」についての説明もいただきました。集落にきて一番感じるのは交通の便の悪さです。輸送に関する規制がもう少し緩やかになればカーシェアならぬドライバーシェアのようなこともできるのではないかと思うのですが。ルールがあるために、細かなニーズに対応できないという事も実はあったりします。

いずれにしても「地域おこし」とはどういう事を言っているのか。
「地域がおきた」姿というのは、何をさしているのか。
そこのところを役場と地域住民とでしっかりと話し合って、足りない物は何なのか。役場にできる事は何か。住民にできる事は何か。そこの部分を明らかにしていくことが大切なのではないかなと思います。

地域おこし協力隊はひとつの社会実験の駒です。
買い物支援の希望がアンケートでは聞かれたけれど、実際にはタクシー代わりには使えないという実態があります。
では買い物支援というのはどういう事を言うのか。そして役場としてはどこまでできるのか、民間だったら何ができるのか、そういうことを一つ一つ明らかにしていくことも役割の一つなのかもしれません。
「あんまり働いてないよね」と言われるのは辛いですが…
そう言われるのも仕事のうちかもしれません。

地域おこしの現場の人として、もう少し頑張ってみたいと思います。

 

慶弔がいっぺんにきました。

お葬式のお手伝いとお祭りの準備という仕事が一度にきました。
集落にいるというのはこういうことなのだと感じます。
お葬式のお手伝いの方法も集落によって違うようでとても興味深かったです。

今回のお手伝いは台所周りだったのですが、それだけでなく会場を整えたり会計のお手伝いをしたりもあって、お手伝いしている男性陣とお話する機会も多かったです。普段お仕事などに出かけていてお会いすることができない方ともお話ができました。

高齢の方も多いということで、ご飯を食べたり休憩をしたりしている時は、昔話になりました。
どのように弔いを行っていたかというお話は、とても興味深いものでした。
以前はなんでも自分たちで行うのが当たり前だったので、棺を運ぶのも火葬のお手伝いも若い人の仕事だったようです。
お話を聞いていて思ったのは、死というものが近くにあったのだなということ。

今は葬儀会社の人が全てとり行ってくれるので、人が亡くなってから荼毘に付されるまで、その工程を経験することはほとんどありません。仕事をしてくれる人を通すことで、人の死というものから少し離れてしまったのだと思うのです。以前は手伝う事で、誰もが死を考え、形が無くなっていく様をみることで、そういうものだという感覚が培われていったのではないかと思います。
それが良いとか悪いとかではなくて、その経験が死を恐れではなく必ずあるものとして捉えることに繋がったのではないかと。

うまく表現できないのですが、ものを生み出す力をつくるというエントリーでも書いたように、お金で解決できることを通すことによって、中身の見えないブラックボックスになってしまったことはたくさんあるのだと感じます。

集落は若者が足りなくなってこういう行事ができなくなりつつあります。
でも良く考えたら、都市の方こそコミュニティが維持できなくなって、早くにそのような行事を手放しました。
自分で動く必要がどんどん少なくなっている都市の生活から、自分たちの手でなんでも行う集落の生活を体験することになって、人間の力ということを考えると、それは進歩ではなく退化の過程なのかもしれないと考えたりしていました。

お葬式のお手伝いが終了してすぐ、地域のお祭りのお手伝いに向かいました。
先ほどまでお寺で一緒だったみなさんと、また一緒にお仕事をさせていただきました。
祭りでは祭りのまた違った体験ができました。
同じ日に慶弔がいっぺんにくる経験も、こういう土地ならではなのかなと思います。